スイートコールの巨乳人妻のおっぱいのことしか考えられなくなった

巨乳という宿命を背負わされた人生とは一体どういうものなのか、それはある時期から巨乳になり、巨乳としての長い時間を生きてきた巨乳本人にしかわからないことだろう。

もちろん、スイートコールを利用するようなテレクラ男性であっても「おおよそ、巨乳にまつわる悩みとはこんなところではないか」という見当をつけることは可能だが、それは所詮、当事者性からはずれており、どこまで思考を深めていったとしても巨乳本人とは無関係だ。

スイートコールで出会った巨乳人妻のサトミさんの巨乳を揉みしだきながら、私は、巨乳を相手にし、巨乳を揉みしだいたり巨乳を舐め回したり巨乳に顔面をうずめたり巨乳にチ○コを挟まれたり巨乳によって挟まれたチ○コを乳圧の巧みな変化や乳房の前後運動などで刺激してもらったりピストン運動によって激しく暴れまわる巨乳特有の運動の軌跡に陶然としたりするときにいつもボンヤリと考えてしまう巨乳の宿命について、こうしてまた考えはじめていたのだった。

スイートコールの巨乳人妻のおっぱいのことしか考えられなくなった

巨乳に強烈な性欲を煽り立てられその巨乳を自分の思うままにしたいという後頭部が痛くなるような欲望に襲われて理性を失う私と、頼んでもいないのに自分の胸がどんどん巨大になっていき巨乳として生きていかなければならなくなったサトミさんとの間には、確かな断絶がある。

ラブホテルの一室で、サトミさんの巨乳を下から仰ぎ見ながら鷲掴みにしている私と、巨乳を好き勝手になぶられているサトミさんは、こうして同じ時空間に身をおいていながらも、所属している階層が違うために、少しばかりずれたそれぞれの空間のなかに閉じ込められているのではないか。

三十代後半まで巨乳として生きることを余儀なくされたサトミさんと自分が簡単に同調し、理解しあえるなどとは思ってはいけない。

サトミさんのような巨乳と出会うということは、そもそも、自分とはまったく違う他者と出会うということを意味している。巨乳を前にしたときの驚きは、巨乳を理解することができないという衝撃と、それでも巨乳を理解したいという欲望によって支えられている。

スイートコールの巨乳人妻のおっぱいのことしか考えられなくなった

揉めば揉むほどに、自分とはまったく異質である巨乳というものがわからなくなっていく。そして、わからなければわからないほどに、自分はまた巨乳へと引き込まれ、巨乳というものを愛したいと考えてしまう。

巨乳の、巨乳以外のパーツにも反応するのだし、そこを愛撫することができないわけでも禁止しているわけでもないし、当然ながら、私はキスもすれば手マンもするしフェラチオもされれば挿入もするのだから、巨乳を相手にしているからといって、四六時中巨乳だけを相手にしているのではない。

しかし、どうだろう、そこに巨乳というものがある限り、どれほど巨乳以外のものとの接触があれども、セックスのことを思い出そうとすると巨乳のことしか蘇ってこないのであり、巨乳以外のあらゆるものが光景に退けられてしまうのだ。

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いや、回想のときばかりではない、そのセックスの渦中においても、巨乳と対峙している人間は、たえず巨乳の存在を意識している状態にある。

巨乳以外のことを考えようとして巨乳を無視しようとすればするほどに、むしろ、巨乳というものはその存在感を増していき、つねに意識されてしまうのだ。

そして、ふたたび巨乳に向かって動いてしまう。その大きすぎる存在感を無視することに耐えられず、巨乳を認め、巨乳を積極的に肯定しようとし、巨乳以外のことは何も考えられないと言わんばかりに巨乳にむしゃぶりつくことになるのだ。

フェラチオをされているときも、重要なのは巨乳だ。チ○コを舐め回す巨乳の下よりも、自分の太ももあたりに触れることになる巨乳の圧をひたすらに感じたいと願っているのが、巨乳フェラチオの常である。これがシックスナインの体制であったならば、巨乳の圧を下腹部に感じるだけの話であり、行為自体にそれほどの違いはない。

スイートコールの巨乳人妻のおっぱいのことしか考えられなくなった

挿入においても、ほとんどの男がセックスにおける目標として捉えている挿入においてさえも、巨乳を相手にした人間は巨乳のことを完全に忘れることができないばかりか、むしろ、挿入によって与えられた摩擦的快楽以上に、ピストン運動によってはねまわる巨乳の視覚的快楽に夢中になる傾向がある。

いや、視覚的快楽ばかりではない。挿入しながらも腕は乳房に伸び、巨乳を揉みしだきながらのピストンというものを欲望し、実践に及び、いやらしくも触覚的な快楽をも受け取って巨乳をくまなく間断なく堪能しようとする男性がほとんどなのではないか。

巨乳に手を伸ばされたが最後、肝心のピストンよりも、巨乳を揉むことに夢中になってしまい、ピストンがおろそかになるという男性も多いのではないかと思われるが、もちろん、私もそのうちの一人である。

スイートコールの巨乳人妻のおっぱいのことしか考えられなくなった

巨乳には、ピストンされながら自分の巨乳をもんでもらうという選択肢もあることを忘れてはならないだろう。これなら自分はピストンに集中できるし、そのうえ、巨乳のありがたい助力もあって、手放しで余裕を持って巨乳を楽しむことができるというわけだ。

また巨乳の圧倒的な量感を前にして、このような巨乳のこと以外何も考えていない体験談を書いてしまうことになった。サトミさんとの交流の時間のなかでは、巨乳以外の様々な出来事やエピソードがあったのだが、巨乳が自分の顔面を圧迫して呼吸と視界を塞ぐように、巨乳という言葉が、サトミさんと自分の間にあったはずの何かを覆い隠してしまったのだった。