仕事のストレスをハニーラインでのセックスにぶつける巨乳介護士
肉体と精神を酷使する介護という仕事をなんとか続けられるのはハニーラインを使ってセックスをして息抜きをしているからなのだ、ハニーラインを使ってセックスをしていなかったら、私の心も身体もとうの昔に完全に壊れてしまっていただろう、とセックスを終えてどこかスッキリした表情の介護士のナナさんは言っていた。
もちろん、すべての介護士がそうであるわけではない、ということは、介護職を選んだ他の人達の誤解を避けるために明言しておく必要があるのだし、介護職をしている人間がみな私のような性欲を持っているというような先入観を抱いてほしくはないのだが、と続けたナナさんは、少なくとも私の場合はそうだったというだけのことだということを理解してほしい、といって、またしてもフレックス勤務の多忙で過酷な日常へと帰っていったのだった。
自分はというと、ナナさんには申し訳ないが、ナナさんがどのような辛さを抱えて仕事をしているかということよりも、三十代の半ばでありながらまだだらしない乱れ方をすることはなく、熟れてはいるがまだまだ瑞々しい肉体にしか興味がなかったので、軽薄に「そうすか。それは大変っすね。いやーお仕事お疲れさまです!」などと適当な相槌を打ちながら、ついさっきまで揉みしだいたり舐め回したり吸いついたりしていたナナさんの乳房の感触に夢中になっていて気もそぞろなのであった。
待ち合わせ場所にあらわれた瞬間から、グレーの半袖シャツのボタンが弾け飛ぶのではないかと不安になるほどはりつめたナナさんの巨乳に眼が釘付けになっていた私は、セックス中も、セックス後も、それぞれの段階で自分に与えられた豊満な乳房の印象にだけ集中していたのである。
着ている服をはぎとることはもちろんのこと、ブラジャーをもむしりとり巨乳をいきなりあらわにして丸出しにすることに性急になりすぎるのは巨乳好きとしてはあまり感心できる態度であるとはいえない。
もちろん、一介の巨乳好きとして目の前の巨乳を一刻もはやく丸裸にしてしまいたいという欲望が芽生えることは避けられないのだし、その欲望をおさえこむことは決して簡単なことではないのだが、ここで欲望をおさえこんで巨乳とじっくりと時間をかけて向き合い対峙していこうという冷静さを持つことは重要である。
巨乳という抗いがたい魅力が相手だからこそ、その魅力には可能な限り抗い、やがて巨乳に飲まれることはわかりきっていることであるとはいっても、自分が巨乳を飲むのだ、という強気なスタンスで巨乳にのぞみ、無駄な抵抗をつづける必要がある。
であるからして、労働によってもたらされた心身の緊張がそのままはりつめた乳房に変貌したのだと言わんばかりの巨乳介護士のナナさんを目の前にしたときも、自分にまず求められたのは自制心である。
いかにして着衣巨乳を楽しむか。それから、ブラジャーだけになった巨乳、ブラジャーを剥ぎ取られた巨乳と、段階を踏んで巨乳を楽しむにはどうしたらいいかを考え、少しでも気を抜くと第三段階の巨乳へと歩を進めたくなる自分をおしとどめなければならなかった。
結果として、私の巨乳の堪能は上首尾のうちに終わったと言ってまずいいのではないかと思われる。
それどころか、ブラジャーは剥ぎ取ったが上着は着たまま、という第一段階と第三段階の巧妙な組み合わせ、隠されていた中二階的な段階を発見し、その状態でのセックスを遂行してみせたのだから、自分で自分を褒めてやりたいくらいである。
むろん、私のこのような発見など、普段介護の現場で高齢者の清拭などをするにあたって、半ば脱がされ半ば着衣の状態にして身体に触れることを日常的に繰り返している介護士のナナさんとしては発見でもなんでもないのかもしれないが、介護士ならぬデスクワーカーの自分としては、この卑猥さは大発見なのである。
私はこの巨乳の魅力を堪能するためのハイブリッド、中二階的段階にすっかり夢中になってしまって、今回のテレクラセックスにおいては、ついぞ、第三段階である「丸裸の乳房」を拝むのを忘れてしまったほどなのである。
もちろん、丸裸の乳房を見たくなかったかというと、せっかくなのだし見ておけばよかった、というのが本音ではあるが、その本音を持ちつつも、私としては、この半脱ぎ半着衣巨乳の状態でしてもらったフェラチオやパイズリやセックスなどに大いに満足してもいるのである。
逆に、第三段階の丸裸の乳房というところまで進行していたら、なにか、今回のテレクラセックスにおけるもっとも重要な部分、自分の胸が熱くなり激しくチ○コを勃起させもした感動が薄れてしまっていたかもしれない。
テレクラセックスは、このような塩梅が難しい。介護のストレスからセックスをし、気の重い介護の現場に戻っていったナナさんには申し訳ないが、私は頭のなかでこんなことばかり考えているのであり、いかに忘れがたい性欲処理をするかということ以外には何も興味がないのである。
そんな私が要介護の状態になったときに、それでも、介護士のナナさんのような人は、こんな性欲の塊の化け物を相手に、手厚い介護をしてくれるに違いない。願わくば、私の介護をすることになるのが女性であり、ナナさんのような巨乳であることを願うばかりだ。
そして、そういう未来があるならば、私は自分の先に広がっている暗い将来も多少は耐えられそうな気がするのである。